安心して挑戦してはいけないの?
寺小屋塾長の久本です。
ここしばらく、指導者として私が心がけていることについて書かせていただきました。
あくまで私の私見ですので、ご批判やご異論もあろうかと思います。最終的には、いろんな指導者がいて、いろんな考え方があるのが自然だと考えます。
ただ、私見ついでに、私がどうしても納得できない指導内容について書かせてください。
それは、某高等学校で昔から行われている
「あまりに早く滑り止め校の合格を手に入れてしまうと、安心してしまって最後まで頑張れなくなるから、秋に受験するのはやめておきなさい。」
という、受験指導です。
いろんな考え方があっていいとは思いますが、どうしてもこの指導にだけは納得がいきません。
特に今年のように、共通テストで思うような点数が出せなくて、国公立の出願に相当の勇気が必要だったり、相当悩んでいる生徒がたくさん出たときには、強くそう思います。
もし仮に、秋の段階で併願校を受験し、合格を手に入れていたとしたら、どれだけ多くの受験生が、勇気をもって第一志望の国公立大学に出願できる心理的後押しになっていたろうか。
と思うと、受験を知るものとして、本当に臍を噛む思いです。
確かにその場合、多くの生徒が、合否ぎりぎりの国公立に出願することになりますから、結果としては「国公立合格実績数」は減るかもしれません。でも実際、それによって困るのは誰でしょうか。
少なくとも、受験生本人ではないことだけは、はっきりしています。たとえ国公立に不合格になったとしても、進学先は確保されているわけですし、前にも書きましたが、勇気をもってチャレンジした結果の失敗には納得もできますし、人生の経験値にもなります。
また、そもそも、早くに合格が決まったがゆえに最後まで頑張れないような生徒さんを、某高校では預かってらっしゃるんでしょうか。
もし、本当にそんなことが起こるのならば、それはその生徒にとっての第一志望校の志望理由がその程度のものだったということですし、そもそもその程度の志望理由で大学進学なんてしないほうがいい。
失礼を承知の上で書かせていただきますが、3年間の進路指導の中で、あれほど優秀な生徒たちにその程度の志望動機しか持たせられていないのだとすれば、ハッキリ言ってそれは、学校側の進路指導、モチベーティングの指導力不足だと思います。
その証拠に、某高校と同程度の学力の生徒の通う某私立高校では、国公立大学志願者も含めほぼ全員が秋の公募制推薦入試から受験をスタートさせますが、それによって、安心して気が緩んでしまって、国公立大学の入試に大きく影響が出たなどという話は、少なくとも私の知る限りでは聞いたことがありません。
また、果敢に「挑戦」していくためには、後顧の憂いのない「安心感」が必要なことは、歴史上古今東西どんな闘いにおいても当たり前、当然のことです。
受験も一つの闘いである以上、「安心がモチベーションの邪魔になる」という論理は、少なくともまもなく社会に出ていく「大人」となるべき高校生の指導現場においては、失礼ながらまったく的外れとしか、私には思えません。
拙い文章で恐縮ですが、少しでも関係の先生方や保護者の皆様に考えていただくきっかけになればと、切に願います。