教師には、生徒の気持ちは分からない?
寺小屋塾長の久本です。
寺小屋が、学年別の一斉授業を基本的に行わないもう一つの理由。
それは、
限りある時間の中で通塾してくる生徒たちの疑問や質問に講師が答える活動を通して、生徒を観察する時間を確保したいから
です。
私は「教育」は、答えを教え込むことではなく、コミュニケーションだと思っています。教える側と教えられる側のコミュニケーションの問題は奥が深いので、別の機会にまた書きたいと思いますが、
そもそも、各教科の先生方は、学生時代好きで得意だった教科を専門に選んで教師になった方がほとんどでしょう。
ということは、究極我々教師には、
その教科が苦手で、大嫌いで、苦労をしている生徒の気持ちはわからない。
ということになります。そして、その教科が苦手で大嫌いな生徒が、どこでつまずき、何が理解できないでいるのかは、本当はわからないのです。だって、自分がそんな思いを経験したことがないのですから。
だから、教師には、絶対に生徒に寄り添い、観察をし、生徒の想いやつまずきに客観的に付き合う姿勢が必要ですし、そのための時間を確保することが不可欠だと、私は信じます。