教科書が変わっても・・・
寺小屋塾長の久本です。
夏休みの特別夏期講習で、塾生の兄弟の中学生などを指導していて感じることです。
ご存じの通り、新学習指導要領によって、中学校の英語の教科書のボリュームが大きく変化しました。
その分、以前にもまして、本文の音読指導の重要性が増しています。
かつ、文法指導にも、わかりやすく、効率的な指導方法の工夫が要求されているのは、いうまでもありません。いわゆる文法訳読方式の英語指導では、あの膨大な教科書の内容を指導するのは不可能です。
でも、少なくとも、うちの夏期講習生に学校での授業の様子を聞いた限りでは、未だに旧態依然とした文法指導が行われている感が否めません。
例えば、
「いいですか。「~すること」と訳すのが不定詞の名詞的用法で、「~するために」と訳すのが不定詞の副詞的用法。「~するための」とか「~するべき」とか訳すのが不定詞の形容詞的用法です」
などという説明が、未だに行われているようです。
私は個人的に、高校英語教師の端くれとして、中学校で、こういう「日本語の訳文に結び付けて説明する英文法指導」が一日でも早くなくなることを願わずにはいられません。
でも、なぜなくならないのか。
それは、基本的に、中学高校で「英語」が教科として得意だった人。少なくとも、英語のテストの点数が良かった人が英語の教師になっているからだ。
と私は考えています。
つまり、今、英語の教師をしている人たちの多くが、上のような説明をされて、理解ができた(あるいは、理解できていると思い込めた)人たちだということです。
自分たちの理解が本物の理解なのか、自分は本当にその物事の本質を理解していると言えるのかを謙虚に反省する心。
自分たちは、安易に「理解できた気分になっている」ので、しっかりと生徒の声に耳を傾けないと、「それで理解できたとは思えない」生徒の気持ちがわからないのだということを謙虚に認める心。
を、指導者側が常に持ち続けなければならないと痛切に感じます。
上のような説明で説明になっているとお感じになっている先生方に、敢えて私から質問です。
「では、結局「不定詞」とは、何ですか?」