母との想い
寺小屋塾長の久本です。久しぶりの投稿になります。
私事で恐縮ですが、去る4月29日、私の母が逝ってしまいました。僧侶として、何十人もの方のご臨終に関わってきた私ですが、自分の母の臨終はやはり特別で、思うように気持ちの整理もつかず、自分の未熟さを痛感しています。とはいえ、先に一歩を踏み出すため、自分の気持ちを整理するために、この文章を書かせていただきます。
私は、寺の住職の長男として生まれましたが、同時に私の両親は二人とも学校の教師でもありました。正直、学校に行っても先生がいて、家に帰っても先生が二人いる。そんな環境でした。
家に帰って、学校についての不満を話したとしても、親から「教師」の目線で「説諭」される。反抗できないように言いくるめられる。寺の息子、教師の子供として、行儀よくいることが求められ、成績もよく、優秀な生徒であらねばならない。
そういう「条件」を満たさなければ、私は父親からも母親からも愛されることはないんだ。
いつの日からか、私は勝手にそう思い込み、親との間に心の壁を作り、都合の良い部分だけを見せて本音は決して親には話さない。そんな子供になっていました。
そんな私にとって、親元を離れての大学生活は、まさに天国でした。時代はちょうどバブルの最盛期。青春を謳歌しました。
でも、そんな日もやがて終わりをつげ、寺を継ぐために地元に帰ってくるかどうかの決断を迫られることになります。
その時に、私は20年来の「良い子」の仮面を捨て、初めて両親と衝突しました。はじめて私の「本音」を両親にぶつけました。両親にしてみれば青天の霹靂。まさに修羅場でした。
そんな修羅場を通して、「父」は、でもやはり「父」でした。そうあるべきだったし、そうであってくれて良かったと思います。
でも母は、大いにうろたえ、大いに悲しみながらも、一言
「最終的にはお前の人生だ。お前の好きにしたらいい。お前がどんな生き方をしようと、親子は親子だ。私はお前の味方をする」
と言ってくれました。
当時の母のおかれた状況、立場からすれば、この一言がとても勇気のいる一言だったことがよくわかります。
ですので、私にはこの一言を聞けただけで十分でした。勇気をもってこの一言を言ってくれた母を、これ以上苦しめることはできない。私が地元に帰って就職をする決断ができた最大の理由です。
以来、50代半ばを迎える今日まで、母と本音で語りあえた時間は数時間もないのでしょうが、でも、今母を失って改めて思うことは、この一言が聞けたことの意味の大きさなのです。
この文章を読んでくださっているすべてのお母さん方にお伝えしたいです。
皆様が自らのおなかを痛めで産んだお子さんたちは、まさに皆さんの命と同体です。良い成績をとってほしい。良い学校に行ってほしい。自分も応援できるような幸せな人生を歩んでほしい。こういうことも、ああいうことも、できるようになってほしい。そう願われるのは当然です。
でも、その前提として、母の愛は、「こういう風にするなら応援する」とか、「こうなるなら認められる」とかの条件のつくものではないはずです。
母の愛は「無条件にその子の存在を認め、応援すること」のはずです。
「そんなの甘えだよ。」と笑われる方もあるかもしれません。でも、人間が生きていくうえで、母の愛に甘えて、何が悪いですか?
そんな「無条件の愛」が感じられることが、自己肯定感や自信の源となり、頑張れる気力の源となる子供たちが、間違いなく存在していることを、ご理解いただきたく思う次第です。