「もう一つの勉強部屋」~寺小屋日常風景の一コマ
寺小屋塾長の久本です。
何度かご紹介しているように、寺小屋には基本的に一斉授業はありません。特に高校生の場合、通塾回数や滞在時間にも一切の制限がありません。したがって、同一空間の中に同時に様々な学年の生徒が存在しますし、それぞれの生徒がやっている勉強の内容も様々です。
先日、割と遅めの時間帯に、ほとんどの塾生が帰宅した後、兄妹の塾生が机を並べて勉強していました。
妹の方は翌日の日本史の課題テストの勉強。兄の方は英語の長文読解。
そして、私は自席に座ったまま、時折妹の方の塾生の、日本史の質問に答えていました。
その質問の中に「西インド諸島に最初に到達したヨーロッパ人は誰ですか?」というのがありました。
おいしい質問です。
早速兄の方が「西インド諸島ってどこの島?」と、会話に参加してきました。
「ええっ、インドじゃないの」と妹
「そうなんだよね、インドじゃないんだよね」と兄。
そうですね。西インド諸島は、南北アメリカ大陸にはさまれた、カリブ海の島々ですね。
従って、先ほどの質問の答えは「コロンブス」 西インド諸島というネーミングに騙される受験生に対する、定番のひっかけ問題ですよね。
で、ここで私から、もう一押し。
「なぜ、カリブ海の島々が、西インド諸島と呼ばれるの?」と質問。
もちろんコロンブスが目指したのは本当はインドで、彼は死ぬまで、自分が発見したのはインドだと信じていた。
だから、現地の人たちがインディオとか、インディアンとか呼ばれたという話につながりますね。
そこで、ふと疑問。コロンブスはスペインからどんな経路をたどってアメリカに到達したのか。
私も、ここは詳しくなかったので、一緒に調べました。すると、スペインから西向きに進んでアメリカに到達したと分かった。そりゃそうだよね。東に進んだら、本物のインドの方が近いから、アメリカより先に本物のインドにつくはずだよね。
では、なぜ西に進んだのか。調べてみると、東向きの航路は、ポルトガルに使われていたから。
あれま、こんなところに、スペインとポルトガルの争いの影響が。う~ん。勉強になるなあ。