東京大学の原型を作ったのは
寺小屋塾長の久本です。
15年前の私のブログ記事、加筆修正版第二弾。
「東京大学の原型を作ったのは」です。
地域の皆様へ
皆さんは加藤弘之博士と濱尾新博士という二人の人物のことをご存知ですか?
加藤弘之博士は、郷土出石町の出身。明治10年に、東京開成学校と東京医学校が合併し、東京大学が創設されたとき、その法理文3学部総理に就任、その後明治14年に東京大学職制が正式に制定されるとともに、4学部と予備門を統括する初代総理職に就任した人物です。
その東京大学初代総理加藤博士の右腕として、副総理職に就任、後に自身も、東京大学から帝国大学と改称した後の第3代総長に就任し、文字通り、一生を東京大学の育成にささげた人物が、現在の豊岡市京町出身の濱尾新博士です(今も東大構内に、濱尾博士の銅像がたっています)。
いわば、東京大学の原型を作ったのは、当時も今も全くの片田舎である豊岡出身の二人なのです。
さらには、その加藤弘之博士の孫、四郎氏が濱尾家に養子入りし、その息子として生まれたのが、現在の天皇陛下、および秋篠宮殿下の幼少期の教育係、お二人から「オーちゃん」の愛称で慕われていたといわれる、元東宮侍従で教育評論家だった故濱尾実氏です。
政治の世界ではなく教育の世界で活躍した二人の郷土人の血は、脈々と受け継がれていたのです。
出石町出身の私が、町内に塾の出石教室を置き、豊岡市京町に本部教室を構えて、
「都会=一流 田舎=二流 ではない」
というスローガンのもと、生徒たちに何を伝えたいと思っているか。
どうぞご推察ください。