なぜ「寺子屋」ではなく「寺小屋」にしたのか
寺小屋塾長の久本です。
実は私、このHPを作る前に、15年くらい前から、別のところでblogを書いていました。今回このページに引っ越しをするにあたり、昔自分が書いた文章を改めて読み返してみると、当時考えていたことが今も全く変わっていないことに我ながらびっくりしました。
というわけで、開塾20周年を過ぎ、もう一度初心を思い出すためにも、当時の記事を修正加筆しながらいくつか紹介したいと思います。
まずは一つ目「なぜ寺子屋ではなく寺小屋なのか」です。
2001年3月、塾を開設した時、私はその名前に迷うことなく「寺小屋」とつけました。
これがいろいろと面倒で、例えば本屋さんで問題集を買って領収書をもらう時、きちんと説明しないと「寺子屋」と書かれてしまいます。様々な業者さん、学校関係者、時には塾生やその保護者の方にも何度文字の訂正をお願いしてきたことか・・・・。
もちろん「てらこや」の正規の表記法が「寺子屋」であることは知っています。
それを、敢えて「寺小屋」にしたのは、私なりのこだわりがあってのことです。
私が自分の塾を作った最大の理由、それは「田舎生まれの子供達に将来堂々とプライドを持って活躍できる大人に成長していって欲しい」「その中の一人として自分自身ももっと成長したい」という願いです。
日本は今、建前は平等な社会ですが、その中で「地域による格差」というのは厳然と存在しています。
環境は人を作ります。
もちろん田舎暮らしの良い点はいっぱいありますし、私自身故郷が大好きで、故郷の美しさを愛しているからこそ故郷で生きる道を選びました。
しかしこれから高校・大学と進学し、将来に向かって夢を持って進んでいくべき10代の若者達にとっては、予備校もなく、大きな博物館・美術館等知的好奇心を駆り立ててくれる施設や人と出会う機会に乏しいという事は、そういう刺激に恵まれた都会の若者達と比べて絶対的に不利です。
その事を私自身30数年前に現役での大学受験に失敗し、大手の予備校で浪人生活をしたとき痛切に感じました。
しかし、です。
人間は恵まれすぎると、恵まれていることのありがたさを忘れてしまう生き物です。そして、その恵まれた環境を最大限に活かそうとする意欲を失ってしまうのです。
一方、ある程度の欠乏状態にある人達は、与えられるものを最大限利用しようとします。発展途上国の子供達が施設の整っていないバラックの校舎で目を輝かせて学んでいる姿を、テレビや雑誌でご覧になった方も多いでしょう。
「寺小屋」は兵庫県の片田舎にある「小さな」塾です。都会の塾生何万人規模の大手の塾と比べれば、吹けば飛ぶような存在かもしれません。
けれども「小さい」という事は、これから大きくなる可能性を無限に秘めているということです。
「寺小屋」も私自身も、塾生諸君も、今は小さな存在です。
でも、「小さい者」「田舎者」にもそれなりのプライドがあります。私自身、まだまだ大きくなりたいし、塾生諸君にも大きく育って欲しい。
その意欲と誇り、自分に本当に必要な情報を見極める目さえ失わなければ、様々な情報の飛び交う中、その本当の価値にも気付けず、右往左往しているような種類の都会の人間達には絶対に負けないし、いつかきっと夢をかなえて大きくなれる。
私はそう信じていますし、そのための努力をずっと続けていきたいと思っています。