不安は頑張りの元?
寺小屋塾長の久本です。
20年、学習塾をやっているといろんな保護者の方に出会います。
かつて、入塾の面談に来られた時に
「先生、うちの子は絶対に褒めないでやってください!!!」
とおっしゃったお母さんがおられました。びっくりして理由をお尋ねすると
「この子は、少し褒められるとすぐにいい気になって手を抜くから、いつも不安なぐらいがちょうどいいんです。」
とのこと。「お母さんも子供さんも大変だろうな。」と思いました。
親子関係において、また一見熱心に指導している指導者と生徒との関係において、一番難しいのは、お互いにとっての課題を分離して考えることです。
前にも書きましたが、熱心に指導をしている指導者にとって、教えている生徒の出す成果は、そのまま自分の評価にもつながる「自分の問題」でもあります。よほど気を付けていないと、「生徒のために」という名目で発した言葉や指導が、実は「自分のため」ということは、頻繁に起こってしまいます。
ましてや、親子の関係というのは、師弟関係以上の「運命共同体」的な意味を持っているので、なおのこと厄介です。
先ほどのお母さんの心理を分析すると、実は大きな不安を抱えているのはお母さんの方です、その自分自身の不安を和らげるために、せめて子供が同じように不安がり、その解消のために一生懸命努力している姿が見たい。なのに、子供は自分の気も知らず、のんきそうにのほほんとしている。それが苛立たしくて仕方がない。だからせめて自分の不安な気持ちをわかってほしいし、同じ気持ちを共有していてほしい。
申し訳ありませんが、これはお母さんの方の課題です。
自分と同じように不安がらせれば、自分が頑張っているように、子供も頑張るんだ。と信じていらっしゃいます。
確かに、不安な気持ちが一時的に頑張る動機になることはあるでしょうが、それは、ある程度失敗を重ねて失敗の怖さを知っている者にしか通用しませんし、第一そんな動機付けは長続きしません。
だって、本来人間は不安を忘れたい動物なのですから。
そして、一番皮肉なことには、そのお母さんは、子供が頑張らない理由を自分で作り出し、引き寄せていらっしゃいます。
お気づきでしょうか? 不安な気持ちが頑張りの動機づけになるのならば、
その子にとって、お母さんに母親として頑張ってもらうためには、
お母さんをどんどん不安にさせればいい。自分が頑張って、お母さんを安心させてしまったら、お母さんは、いい気になって、母親として自分に関わることに手を抜いてしまう。危ない危ない。母親の注目を自分に集めておくためには、ずっと不安でいてもらうのがいいんだ。
ということになってしまいます。まさに因果応報。堂々巡りの不安のループですね。
一方的に価値観を押し付けられることなく、自分が自分として認められ、尊重されて、正当に評価される。そして、しかるべきタイミングで、きちんとしたストロークが与えられる。
このこと以外に、本物のやる気の元はありえない と私は思います。